ノンフィクション漫画の読み方|根拠と再構成を確かめる
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ノンフィクション・実話・実録・事実をもとにした、は同じ言葉ではありません。読む側が確かめられるのは、参考文献・出典・取材先・注記・あとがき・監修・再構成の断りといった、実際に書かれている欄だけです。どの場面が創作かを決めることはしません。
四つの言葉は、同じものを指していない
ノンフィクション、実話、実録、事実をもとにした。表紙や紹介文でよく見かけますが、同じ意味ではありません。
どれも、どこまでが確かめられた事柄なのかを言い切ってはいません。 言葉の強さと、確かめられる度合いは別のものです。
同じ本に二つ以上が使われていることもあります。 表紙とあとがきで違う言い方が出てくることも珍しくありません。
四つは互いの言い換えとして置かれている場面が多くあります。 見るべき先は言葉ではなく、巻末に書かれている中身のほうです。
確かめられるのは、書いてあることだけ
読む側にできるのは、その本に実際に書かれている表示を読むことです。
取材がどこまで行われたか、どの場面がどう作られたかは、中に入って確かめられるものではありません。
だから、確かめる対象を、読者が現に読める欄に限ります。 そこから外へは出ません。
表示の欄を見る
| 見る欄 | そこに出ること |
|---|---|
| 参考文献 | 何を見たか |
| 出典 | どこまで |
| 取材先 | 誰に聞いたか |
| 注記 | 但し書き |
| あとがき | 作り方の説明 |
| 監修 | 誰が見たか |
| 再構成の断り | 断りの範囲 |
本文より後ろに置かれていることが多い欄です。 巻末、章の終わり、扉の裏。最初に探すのは、そこです。
埋まっている欄があれば、その範囲は読み取れます。 埋まっていない欄は、空のまま読みます。
四つの言い方・表示の数を正確さの目印にしない
読み取れるのは、書かれている欄の範囲だけです。
事実を題材にしても、そのまま写すわけではない
場面の組み立て直し、会話の書き起こし、順番の整理、省くこと、見せ方の工夫、作り手の受け取り方。これらは事実を題材にしていても入ります。
手が加わっている一点をもって、作品を低く見ることはしません。 漫画として読める形にする以上、どれかは必ず通ります。
だから、入っているかどうかではなく、断りがあるかどうかを見ます。 一部を組み立て直した、会話は要約した、といった断りが置かれていることがあります。
断りが無い場合もあります。 そのときは、断りが無いと読み取るところまでです。
埋まっていた欄を、どう読むか
欄が埋まっていれば範囲が読み取れる、と書きました。では、埋まっていた欄から何が読み取れるのかを開いておきます。 並んでいる中身の種類によって、読み取れる範囲が違います。
| 欄の中身 | 読み取れること |
|---|---|
| 書物が並ぶ | 下敷きの範囲 |
| 聞いた相手 | 直接聞いた分 |
| 注記が細かい | 断りの位置 |
| 監修の名前 | 見た人がいる |
書物が並んでいる欄からは、何を下敷きにしたかが読めます。 ただし、下敷きにしたことと、そこに書かれていた通りに描いたことは別です。 並んでいる冊数が多いほど正確、という関係もありません。読み取れるのは「この範囲のものを見て作った」までです。
聞いた相手が書かれている欄からは、直接聞いた分がどこかが読めます。 当事者から聞いたのか、詳しい人から聞いたのか。ただ、聞いた内容のどこが作品に入ったかは書かれていないことが多いところです。 相手の名前が分かるだけで、対応は分かりません。
注記が細かい欄からは、断りの位置が読めます。 どの場面について断っているか。細かいほど、どこが組み立て直されたかの見当が付きます。 逆に、注記が一行だけなら、その範囲も一行分です。
監修の名前がある欄からは、見た人がいることが読めます。 ただし及ぶ範囲はたいてい書かれていません。 全体を見たのか、専門の部分だけを見たのか。書かれていなければ、そこは分からないままです。
どの欄でも、読み取れるのは範囲までです。 中身の正しさは、欄からは出てきません。 欄を読むのは、正しさを測るためではなく、どこまでが示されているかを知るためです。
欄が埋まっていても、分からないことは残ります。 それが普通の状態です。残ったことを空欄と同じように控えておけば、あとで気になったときに確かめ直せます。
資料が無いことと、内容が違うことは別
参考文献も出典も見当たらない作品があります。
そのとき言えるのは、表示が見当たらない、ということだけです。 内容が違うという話にはなりません。
紙幅の都合、作りの方針、扱う題材の性質。欄が置かれなかった事情のほうは、読者の側から数え上げられません。
見当たらない、と控えておきます。 それ以上は足しません。
資料があることと、全部が事実であることも別
逆の向きも同じです。
参考文献が並んでいても、そこに挙がっているのは作り手が見たものであって、描かれたすべての場面の裏づけではありません。
監修が入っていても、監修の及ぶ範囲はたいてい書かれていません。 その範囲が書かれていない以上、監修の届いた先を読者が言い当てることはできません。
欄が埋まっていることを、内容全体の保証として読まないでおきます。
どの場面が作られたかは決められない
この記事の立ち位置を、先に一つ置いておきます。
読んでいて、この場面は作られたものではないかと思うことがあります。思うのは自由ですが、そう言い切ることはしません。
根拠を持たずに、特定の場面を創作と呼んだり、特定の発言を作り話と呼んだりしないでおきます。 その言い方は、作った人にも、描かれた人にも向かいます。
気になるなら、断りの欄へ戻ります。 欄に何も置かれていなければ、読み手の側では確かめようがない、という位置で止めます。
実在の人のことは、作品の外へ持ち出さない
実在の人や出来事を扱った作品では、扱いに気をつけます。
作品に描かれていないことを調べて足す、描かれた人の現在を探す、名前を出して話を広げる。いずれも、この記事の読み方の外側に置きます。
読むのは作品と、その表示の欄までです。 そこから外に出ると、読むこととは別のことになります。
隣の記事との区分
近くに立つ記事があるので、区分を置いておきます。
歴史を扱う作品を選ぶ記事とは、見るところが違います。 あちらは題材と創作の範囲を分ける話で、 こちらは巻末に置かれた表示の読み方です。
呼び名の分け方そのものを見渡す記事が、この記事より一段うしろに控えています。
開く前に見ておく欄
| 見るところ | 確認すること |
|---|---|
| 言葉 | 四つを同じにしてない |
| 欄 | 巻末を見たか |
| 断り | 再構成の記載があるか |
| 無い欄 | 空のままにしたか |
| 判定 | 創作と決めてないか |
うしろのページを先に見てみる
やることは結局ひとつです。本文を読む前に、うしろのページを開いてみること。
参考文献が並んでいるか、あとがきに作り方が書かれているか、再構成の断りがあるか。あれば読み、無ければ無いと控えます。
そのうえで本文を読むと、どこまでが示されていて、どこから先が分からないままなのかが、読みながら分かります。