グルメ漫画と料理漫画|食を描く視点の違い
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二つの呼び名は、作品の種類ではなく、同じ場面のどこを見ているかに付いています。この記事のために書いた一つの食卓の場面を置いて、見る場所を作った手・食べる人・席の間へ移すと、同じ数行から別のものが読めることを示しました。上手さは測りません。
同じ食卓を、三度見てみる
言葉の整理より先に、場面を一つ置きます。実在の作品は使いません。この記事のために書いた数行です。
三行です。この数行から読み取れるものは、一通りには決まりません。
見る場所を移すと、読めるものが変わる
| 見る場所 | 目に入るもの |
|---|---|
| 作った手 | 段取りと手つき |
| 食べる人 | 味と体の反応 |
| 席の間 | 声と距離 |
作った手のほうを見ると、 布巾がまだ握られていること、湯気が立っているうちに運ばれたことが目に入ります。支度の側の時間が見えてきます。
食べる人のほうを見ると、 すくって止まった手と、熱さのほうが前に出ます。口に入るまでの一拍が読みどころになります。
席の間を見ると、 声のかかり方と、器が二つであることのほうが立ってきます。欠けた器を使い続けていることも、ここで意味を持ちます。
同じ三行です。 動かしたのは、見ている場所だけです。
呼び名は、作品ではなく視点に付いている
グルメ、料理。この二つは、棚を二つに割るための言葉として使われがちです。
けれど、いま動かしたのは作品ではなくこちらの見る場所でした。 呼び名のほうも、作品の中身より、どこを見て語っているかに寄り添って使われています。
だから、一つの作品に両方の言い方が付くことも起こります。 出している側と、読んだ人と、紹介する場所とで、別の言い方になることもあります。
どちらかが誤りだ、とは考えないでおきます。 見ている場所が違うだけ、という説明のほうがたいてい合います。
「グルメ=食べる・料理=作る」の二分にしない
見たいのは、自分がいま、その場面のどこを見ているかだけです。
三つ以外にも、見る場所はある
作った手、食べる人、席の間。この三つで先ほどの三行を読み分けましたが、移せる先はもっとあります。 三つで足りないと感じたときのために、置いておきます。
| 移せる先 | 前に出るもの |
|---|---|
| 置かれた場所 | 店や家の様子 |
| 食材の側 | どこから来たか |
| 時間の側 | 待つ時間 |
| 読者の側 | 自分の空腹 |
置かれた場所のほうを見ると、机や器や部屋の様子が前に出ます。 先ほどの三行では、欠けた器がここで意味を持ちます。 長く使われているものが置かれている場所、という読み方になります。食べ歩く作品でも、店の側を見ているのか皿の側を見ているのかで違うものが読めます。
食材の側を見ると、どこから来たものかが前に出ます。 誰が選んだか、いつのものか。支度の前の時間まで遡る見方です。 三行の中には書かれていませんが、書かれていないことに気づけるのもこの位置です。
時間の側を見ると、待っている分が前に出ます。 湯気が立っているうちに運ばれたこと、ひと口ぶんで止まった一拍。 食は待つことと組になっているので、この位置からは「まだ食べていない時間」が読めます。
読者の側を見ることもできます。 読んでいる自分が空腹かどうかで、同じ場面の効き方が変わります。作品の側の話ではありませんが、読み心地を決める大きな要素です。 夜に読むと効く作品、というのはこの位置の話です。
七つに増やす必要はありません。 三つで読めているなら、それで足ります。移す先を増やすのは、同じページを何度も読みたくなったときだけです。
移した先で何も見えないこともあります。 その場面がその位置を描いていない、というだけです。見えないことも、どこを描いた作品かの手がかりになります。
いくつもの見方が、同時に立つ
三つから一つを選ぶ場面は、読んでいるあいだに来ません。
先ほどの三行では、布巾も、止まった手も、二つの器も、同時に置かれています。 どれかを見ると他が消えるわけではありません。
読んでいる最中に、見る場所は自然と動きます。 前のページでは手つきを追っていたのに、次のページでは向かいの席を見ている、ということが起こります。
動いてよいものとして扱います。 固定しようとすると、そのページの面白いところが一つ落ちます。
作る場面が無くても、食は描ける
調理の場面がまったく出てこない作品があります。
出てくるのは運ばれてきた器と、それを囲む人だけ。それでも食は描かれています。 支度の時間は、画面の外に置かれているだけです。
描かれていないことを、抜けとして数えないでおきます。 どこを描くかは、作り手が選んでいることです。
食べる場面が無くても、食は描ける
逆の側も同じです。
支度と段取りだけが続いて、口に運ぶところは描かれない。そういう作りもあります。 手つきのほうに時間が割かれている、というだけです。
どちらが正しい作りか、という問いは立てません。 選んだ場所が違います。
片方が欠けている作品、という言い方も避けます。 描かれていない側は、読む側が勝手に埋めなくて構いません。
上手さは、この記事では測らない
料理が上手いかどうかを、この記事は判定しません。
手つきが丁寧か、値の張る材料か、通っぽい食べ方か。どれも作品の良し悪しとは別のことですし、読む側が点を付ける筋合いのものでもありません。
上から順に並べ直すこともしません。 並べ直した時点で、見る場所を移すという話のほうが消えます。
好きな場面が一つあれば、それで十分です。
作り方そのものは扱わない
調理の手ほどきは、ここには置きません。
どれくらい入れるか、どれくらい火を通すか、どう扱うか。いずれも読み方から離れますし、ここで引き受ける理由もありません。
作中に手順らしきものが出てきても、そのまま手元で試すものとしては読みません。 多くは、話を運ぶための一場面として置かれています。
気になったら、その分野の確かな案内のほうを見に行きます。 漫画の記事で代わりをしません。
隣の記事とどこで分かれるか
同じ棚に並びそうな記事があるので、分かれ目のほうを先に書いておきます。
食を主題にした作品を、どの過程から選ぶかを扱う記事が別に立っています。 あちらが見るのは作品の重心の置きどころで、 ここで見るのは一つの場面の中での目の置きどころです。
ジャンルの名前がどう切られているかを扱う記事は、これより広い範囲を持っています。
暮らしの温かさから作品を探す記事とも分かれます。 そちらは読み終えたあとの気分が入口でした。
場面を読むときに見るところ
| 見るところ | 確認すること |
|---|---|
| 場所 | どこを見ているか |
| 移動 | 移してみたか |
| 重なり | 同時に立つか |
| 呼び名 | 作品に付けてないか |
| 測り | 上手さを測ってないか |
呼び名より、自分がどこを見ているか
いま読んでいる作品で、食べ物が出てくるページを一つ開きます。
手を見ているのか、口元を見ているのか、向かい合っている二人を見ているのか。そこが言葉にできたら、一度だけ別の場所へ移してみます。
さっきまで見えていなかったものが、たいてい一つ出てきます。 呼び名にたどり着かなくても、その一つのほうが手元に残ります。