ポストアポカリプス漫画とは|崩壊後の暮らしを読む
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全部が無くなっている世界、という意味ではありません。読みどころは、何が残っていて、その上でどう暮らしているかのほうにあります。道・建物・食べもの・集まり・記録・行き来の六つを崩壊の前後で見ると、作品ごとの決まりが見えてきます。度合いは付けません。
全部が無くなっているとは限らない
崩壊したあとの世界、と聞くと、何も残っていない場所を思い浮かべます。
けれど、そういう作品はむしろ少数です。たいていは、何かが残っています。 通れる道、使える建物、続いている集まり、誰かが書き残したもの。
読みどころは、失われた側ではなく残った側にあります。 残ったもので、どう暮らしているか。そこが描かれます。
崩壊の前と後で、何が変わったか
| 項目 | 崩壊の後に見ること |
|---|---|
| 道 | 通れるかどうか |
| 建物 | 使えるかどうか |
| 食べもの | どう手に入れるか |
| 集まり | 続いているか |
| 記録 | 残っているか |
| 行き来 | 別の場所へ行けるか |
前の欄は、たいてい一つに決まります。 崩壊する前は、どの作品でもだいたい似た形をしています。
後の欄が枝分かれします。 同じ項目でも、作品ごとにまったく違う答えが入ります。そこが、その作品の決めごとです。
残っているものを先に数える
数えはじめる場所は、残った側です。
一つも残っていない作品は、実際にはほとんどありません。人が出てくる時点で、何かは残っています。 言葉、道具、通り道、覚えていること。
残った数の多い少ないを、良し悪しにはしません。 少ないほど厳しくて面白い、という測り方はしません。
何が残ったかのほうが、話の形を決めます。 記録が残っていれば前を知る話になりますし、残っていなければ確かめようのない話になります。
暮らしのほうに目を移す
崩壊そのものより、そのあとの毎日が中心です。
直す、運ぶ、分ける、話す、覚えておく、待つ。ページの多くが、こういう手つきに使われていることがあります。
派手な場面が少ないことを、物足りなさとして数えないでおきます。 静かなページのほうに、その世界の決まりが出ています。
暮らしが描かれていれば、そこが読みどころです。 崩壊の原因が最後まで分からないままの作品もあります。
崩壊から、どれだけ経ったか
何が残っているかと並んで効くのが、崩壊からどれだけ経ったかです。 同じ「残っている」でも、覚えている人がいるかどうかで話の形が変わります。
| 経った時間 | 前を知っている人 |
|---|---|
| 直後 | みな覚えている |
| 数年後 | 半分は覚える |
| 一世代後 | 聞いた話だけ |
| ずっと後 | 誰も知らない |
直後から始まる作品では、全員が前を覚えています。 失ったものがはっきりしているので、戻ろうとする動きや、受け入れられない気持ちのほうが前に出ます。 読む側も説明を受けずに済みます。前がどういう世界だったかは、人物の口から出てきます。
数年経っている作品では、覚えている人と覚えていない人が混ざります。 小さかった人は知らない。この差そのものが筋になります。 教える側と教わる側が生まれるので、説明の場面が自然に入ります。
一世代あとになると、前のことは聞いた話になります。 誰も直接は見ていない。そのとき残った記録の意味が変わります。 書かれたものが本当かどうかを確かめる手立てが無いので、記録が信仰や決まりごとに変わっていることがあります。
ずっと後の作品では、誰も前を知りません。 崩壊したという自覚さえないこともあります。残っているものは、由来の分からない道具や建物として置かれます。 読む側だけが「これは前の世界のものだ」と気づく、という作りが取れます。
経った時間は、冒頭では書かれないことが多いところです。 ただ、登場人物が前のことを語れるかどうかで見当が付きます。 語れるなら近く、聞いた話としてしか語れないなら遠い。
時間が経っているほど厳しい、という関係はありません。 落ち着いて暮らしが立て直されていることもあります。逆に、直後のほうが手元に物が残っていて楽なこともあります。
集まりと、行き来
人の集まり方は、一作ごとにずいぶん離れています。
前からの集まりがそのまま続いていることもあれば、まったく別の組み合わせで作り直されていることもあります。一人で動いている話もあります。
行き来ができるかどうかも、作品の決めごとです。 遠くへ行ける作りと、決まった場所から出られない作りでは、話の進み方が変わります。
正しい設定はどちらか、という聞き方をしないでおきます。 組み方が違うだけです。
「崩壊後=完全に滅びた世界」にしない
見たいのは、何が残っていて、その上でどう暮らしているかだけです。
崩壊のきっかけは、作中の決まり
なぜそうなったのかは、作品が決めていることです。
現実に起きた出来事と似た言葉が使われることはあります。それでも作中の説明が届く範囲は、その作品の中までです。 現実に起きたことの説明にはなりません。
この記事では、現実の災害や争いや流行り病を、作品の設定の下敷きとして扱いません。 実際に起きたことは、誰かの身に起きたことです。
実際に起きたことの重さを物差しにして、作品を並べることもしません。 その物差しを持ち出した時点で、読み方の話ではなくなります。
度合いを数にしない
世界の厳しさを数に置き換えることは、ここではしません。
どれくらい生き延びられるか、どれくらい危ないか、どれくらい望みがないか。外から当てられるものでもなければ、当てたところで読む助けにもなりません。
残っているものの量を点にすることもしません。 多いか少ないかは、その世界をどう組んだかの話にとどまります。
★も順位も置きません。 置いた数字は、置いた人の感じ方でしかありません。
生き延び方の手引きにはしない
この記事には、実際の備えや切り抜け方は書きません。
水をどう手に入れるか、どこへ逃げるか、どう身を守るか、誰かから離れるにはどうするか。どれも読み方の話ではありませんし、漫画の記事が引き受けるところでもありません。
作中の場面も、手元でなぞるものとしては読みません。 その世界の決まりの中で成り立っている話です。
本当に備えたいなら、住んでいる場所の公的な案内を見ます。 そちらのほうが確かですし、自分の場所に合っています。
社会の決まりの話とは、別の問い
崩壊後であることと、決まりが人を縛っていることは、別々に起きます。
崩壊したあとで、誰も何も強いていない世界もあります。逆に、崩壊していない世界で、決まりが人を強く縛っていることもあります。
だから、片方から片方を導けません。 崩壊後だからこういう社会だ、とは言えません。
両方が当てはまる作品もあります。 そのときは、両方の見方を並べて使えば足ります。
隣の棚の記事との切り分け
同じあたりに置かれる記事があるので、境目を先に書いておきます。
社会の決まりと人の関係を扱う記事は、立てている問いが違います。 あちらが見るのは決まりが人に何を許すかで、 ここで見るのは何が残って、どう暮らしているかです。
現実からの遠さを扱う記事とも重なりません。 そちらが測るのは舞台のほうの距離でした。
呼び名の分かれ方そのものは、これより広いところを見ている記事が扱っています。
開く前に見ておくところ
| 見るところ | 確認すること |
|---|---|
| 残り | 何が残っているか |
| 暮らし | どう変わったか |
| きっかけ | 作中の決まりか |
| 度合い | 数にしてないか |
| 手引き | やり方にしてないか |
最初の数ページで、残っているものを探す
読みはじめた作品の冒頭から、目に入ったものを一つ拾ってみます。
通っている道、灯り、誰かの声、書かれた文字。どれか一つ見つかれば、その世界には何かが残っています。
そこから、どう使われているかを追えば、暮らしのほうへ入れます。 崩壊の全体像は、最後まで分からなくてもかまいません。